2022年12月31日土曜日

大嶋さん

 言葉で説明すると話し手と受け手の感覚の差で上手く伝わりません、人の口を経ると言葉は変質します、それが嫌で文章にしました。

ご当人にもこの文章を読んでもらいたいと思って出来得る限り正確に書きました。

私とあなたの事を他の人から聞かれた時には ここに書きましたよ 読んで下さい と此の文章を案内します。
きちんと書いたものを残さないと 言った言わないの話に発展します それは避けたいと思っています。
長い間付き合あった人の事を書く事に抵抗がありました、自分自身を守るためにはこの方法しか思い当たりませんでした。
彼と私の話題になった時には是非のこのブログのこのページを活用してください。
ここに書いた内容はこれ以上でもこれ以下でもありません。

 私の母の墓参りに日本に帰った時にある方から助言を受けました。
その人は あなたに(私の事です)質問したので私は本当の事が解りますが他の人は事実を知らないので彼の言っている事を本気にしていますと言ってくれました。
そしてあなたの知人には本当の事を話したほうが良いですよ と忠告してくれました。
これまで私はそのうちに本当の事が皆に解るだろうと思って彼が皆に話している事に対して何の補足も説明もしていません。
真実と事実はどちらが全体像でどちらがその中の一部を表しているのでしょうか。
事実は常に一つ 真実は一人に一つ を前提にしてお話をさせていただきます。
真実は事実の中の一部と言うスタンスで話しを進めます。

 その壱 彼がボホールに来た時の事です。
彼は知人と二人でボホールに遊びに来ました。
私は彼と知人から事前に彼等がボホールに来る連絡は受けていません。
私がセブでダイビングをしている時にショップからの連絡で二人がボホールに来ている事を知りました。
 彼は日本に帰ってから日本の知人にこう話しました。
私がボホールにいる間に彼(私)は一度も私に逢いに来なかった これは真実です。
私は彼の来る数日前からセブでダイビングをしていました。
彼がボホールに来ている事を知ったのは彼の帰国の二日前です。
私は彼等の帰国の前日の夜セブのホテルで食事をとらずに彼等が来るのを待ちました。
この日は天候が悪く海が荒れてボートが遅れて彼等は夜の九時頃ホテルに着きました。
彼等と私の三人はその夜十二時過ぎまで話しをしながら酒を飲みました。
ボホールで私は彼に会っていませんがセブのホテルで彼に会っています これが事実です。
私は別の日本の知人からも質問を受けました。
「どうしてボホールで彼に会いに行かなかったのか」
私はその知人に上記の状況を説明しました。
その知人は私に 事情は良く解りました それにしても変な話し方をする人ですね 周りで聴いている人はあなたの事を酷いやつだと言って怒っていました と話してくれました。
彼の言っている ボホールで私と会わなかったこと は嘘ではありません、しかし私とセブで会い深夜まで酒を飲みながら話をしています。
なぜ彼がこのような意図的な話し方をしたのか残念でなりません。
このような話し方をした意図を彼に聞いた事はありませんが彼に対する不快感と不信感は拭えません。
善意をもった話し方でないことは確かです。

 その弐 私が飲み会の約束を守らなかったこと。
私が帰国した時に彼に連絡をして四、五日後に彼等と飲みに行くことを約束しました。
次の日に主治医から 三日間酒を飲まない時の血液を検査したい と言われました。
彼にその旨メールを送り飲み会の不参加を詫び、彼から不参加了解のメールを貰いました。
 その飲み会の夜彼から電話がありました。
今ホテルの外にいます皆も待っているからこれから飲みに行こう と言う趣旨の電話です。
私は彼に 行かないことはメールで了解を取っている 旨の返事をしました。
彼は それは解っている いいから飲みに行こう と言う旨のことを言いました。
私はあきれて 前に断りましたね 事情は分かっているはずです 行きません と言う趣旨を伝えて電話を切りました。
 彼はこの事を知人にこう話しました。
"私から電話があったので飲み会をセッティングした 当日の夜私のホテルに迎えに行ったが断られた 一緒に飲むのを楽しみにしていたのに残念だ"
知人から どうして一緒に飲みに行かなかったのか と聞かれた私は上記の経緯を説明しました。
知人は 又ですか とあきれていました。
知人は私に その時一緒にいた人は誰ですか 聞きました。
私は彼の知り合いのOTSKさんMRKMさんの名前を伝えました。
知人は その二人には事情を説明したほうが良いですよ と言ってくれました。
私が彼等と飲み会に行かなかったことは事実です、彼は私と彼の前段の話を抜かして人に話しています。
話し方に作為があります、これも善意に基づいた話し方とは言えません。

 その参 私は彼の部下だった
芳賀の工業団地の知人から電話で あなたは彼の部下だったのですか 同じ会社で働いていたんですか と言う質問を受けました。
私は 違いますよ と言うと 知人は 彼は酒の席で皆にそう話していますよ と教えてくれました。
その後私は彼と何度か酒を一緒に飲みました、その席で酔った彼は私の目の前で 彼は私の部下だった と同席している人に言いました。
私は 止めてくれる 俺はあんたの部下じゃないよ と言うと、彼は私に 解かっていますよ 冗談に決まっているじゃないですか と言いました。
別の機会に彼と飲んだ時にも彼は酔って同じことを私の前で他の人に繰り返しました。
私は酔った彼の口癖だと思う事にしました、注意するのを止めました。
困った口癖です。

 その四 退職してから私の口の利き方がぞんざいになった
私は彼を呼び捨てにしたこともなければお前と言った事もありません。
彼をさん付けで呼んで彼の要求通り普通の友人として話していました。
 十五年位前の話です。
私は仕事と母の介護もあってあまり酒を飲まない時期がありました。
彼が私の付き合っていた女性と付き合っている事をその店の女の子からの電話で知りました。
それは当人同士の問題なので私は彼等に何も言いませんでした。
ある日その女性から私に電話があり 彼が寂しがっているから彼に電話をして欲しい と言われ驚きました。
私は 用があるなら彼が私に電話をくれれば良い と返事をしました。
数日後に彼女から再度電話があり 〇月〇日〇時に**で彼が待っているので是非行ってほしい と言われました。
私がその店(きのめ)で酒を飲んでいると彼が来て この度はあなたに大きな借りを作った 申し訳ない これからも年長の友人として付き合ってほしい という趣旨の話を私にしました。
私はその後も友人として彼に接しています。
彼に対してぞんざいな言葉を使った覚えはありませんが彼は皆に私が彼に対してぞんざいな口をきくと言っています。
これだけ作為が続くと嫌になります

 ある時彼が私に 君の秘密を握っている と言いました。
私は それは良かったですね しかしあなたは変わりましたね と言いました。
ある時彼は 君には会社の職位では負けたが私は勤めている会社で勝った とも言いました。
彼は銀行という大企業に勤めて係長です、私は小さな会社でも代表権を持っていました、彼はその事を言ったのでしょう。
このころから私は 彼は変わったなあ と思うようになりました。
その他にもありますがそれは書きません。
此処に書いていない事で不明・不審な点があれば私にお問い合わせ下さい、詳しく説明させていただきます。 阿美朋靖

大掃除

 ヘルパーさんに四日間かけて年末の大掃除をしてもらいました。

窓ガラス・窓の桟・網戸

照明器具

窓ガラス・窓の桟・網戸

照明器具

棚・机の上の埃

カーテンも洗ってもらいました。

住まいがこざっぱりしていい気持ちです。

気のせいか窓から差し込む陽の光も明るく見えます。

来年は厄災のない年でありますように と手を合わせて 神様・仏様・守護神様にお願いをしました。

2022年12月29日木曜日

毛糸の洗濯物


 日本で汚した洗濯物を取り込んで 雪国の洗濯物みたいだね と思いました。
暖かい国でこんな毛糸の洗濯物を干している家はありません。

 今の時間は12:40  温度は28℃ 湿度は82% です。
かつて・大昔に 形のいい唇ね と言われて人差し指でなぞってもらった私の唇は日本の寒さと乾燥にやられて荒れてひび割れ悲惨な状態です。
こちらの温度と湿度が少しづつ々元の唇に戻してくれています。

 昼過ぎから始まった水上レストランのカラオケが午後七時を過ぎても止まりません。
音量は隣家のカラオケほど煩くありません。
ここでのクリスマスは初めてです。
年末年始の食料を明日早くスーパーが混まないうちに買いにゆきます。
カラオケは歌い手が替わってまだ続いています。

消毒・・・

 私は寝相がとても悪い。
朝目が覚めると手術痕が痛く少し血がにじんでいた。
大慌てで消毒をした。
 私の寝相がどの位悪いかと言えば前にも書いた通り同居していた女性が私の寝相の悪いのに呆れてベッドで一緒に寝るのを止めて布団で寝たくらいだ。
それと歯ぎしりと寝言を指摘された。
睡眠中は無意識の世界に身を置くので そんなことを言われても困る と思っていたがその事が我が身にふりかかるとなると事は深刻だ。
 前回の直腸の手術の時は寝ていて痛みで何度も目を覚ました事を思い出した。
それだけ今回は軽微なのかもしれない、そう自分に都合よく思う事にした。

 I toss and turn a lot in bed.
I was bleeding because of that.
I have pain when I stoop down.

2022年12月28日水曜日

ボホールへ

 クリスマスの交通渋滞を考えて早めにホテルを出て港に向かいました、道路はさほど混んでいませんでした。

出発する時に帰りの乗船券は買ってあります、乗船券売り場は酷い混雑でした。

船の待合室は酷いとしか言いようのない混雑です、座る場所もありません。

二階に上がり汚れたテーブルを掃除して椅子を見つけて座りコーヒーを飲んで時間を潰しました。

乗船時間に館内放送が流れて13:00の便は13:40になりました。

その後の放送で二便がキャンセルとなりその乗客は恨みの声をあげながら待合室を出てゆきました。

 館内放送も混乱し始め乗客も各々勝手な予測をはじめ列が移動したり戻ったりと言う異常事態が起こりました。

インフォメーションに確認に行くと 乗船口は8番で乗船時間は2時を過ぎるだろう と教えてくれました。

コーヒーをおかわりして時間を潰していると2時過ぎに 8番から乗船開始 の放送が館内に流れました。


 私も列の後尾に並びましたが列は一向に進みません。
午後一時の便は午後二時半に一時間半遅れて出港しました。
 船内は寒いのでフリースを着てネックウォーマーを付けました、とても暖かく快適でした。
レンタカーに電話で出港時間とタグビララン港の到着予定時間を連絡してから乗客の寒さでクシャミや咳が聞こえるなかで暖かくまどろみました。

 六時に住まいにつき洗濯機を回した後シャワーを浴びて軽く食事をしてから疲れているので荷物の整理は放棄して眠りました。
雨ふりで風が強く肌寒いので(気温は25~6℃くらいでしょうか)掛け布団を用意して湿った空気の中で翌朝五時に目を覚ましました。

2022年12月27日火曜日

これは大切 フィリピン入国時に必要な eTravel 入力の仕方 ※保存版

 https://etravel.gov.ph/のアドレスを確認する(贋のページへの入力を避ける)


eTravelの登録・入力の仕方は下記のアドレスをクリックして下さい


登録完了後はQRコードの付いた画面をスマートフォンで保管する
か印刷して所持してください
黒塗りの部分にパスポートナンバーが表示されます

セブへ

 航空便の搭乗時間に丁度いい高速バスがあったので電車利用の時のように重いラッゲージを引っ張らずに済みました。

PR433はANAとのシェア便なので乗客が多く待合室の座席に座ることが出来ませんでした。

機は25分遅れて14:50にフライトしました。


 セブ空港のタクシー乗り場に並んでいる人は多くありませんでしたが肝心のタクシーが来ないのでずいぶん待ちました。

 強めの風が吹いていました、湿った暖かい空気は何よりの体へのごちそうです、ホッとしました。

 いつものホテルにチェックインしたのは出発してから12時間後の午後9時でした。
疲れました、シャワーを浴びて傷口を消毒してから食事にゆきました。


 クリスマスは家で家族と寛いですごすが普通なのでしょうね、いつものお店は珍しくガラガラに空いていました。
 旅行の無事と手術の成功を祝って少し飲みました、ワクチンの副作用の下痢が怖くて普通の量は飲めません。
飲んだのはほんの喉のお湿り程度です。
 部屋の電源をすべて落として窓の厚手のカーテンを僅かに開いて九時に寝ました、翌朝七時に目が覚めました、寝相が悪いので傷口から少し血が出ていました。
 消毒々・・・。

2022年12月24日土曜日

Office365アプリのインストール


 フィリピンで日本で買ったOffice365をPCにインストールしようとしたら この国ではインストールできません と表示が出ました。

日本で買ってフィリピンに持ち帰ったOffice365をまた日本に持ってきて日本でOffice365のインストールを再度行いました。

インストールは上手く行きました、計5台インストール可能なアプリと表示されその事にも驚きました。

俺は爺いのアマチュアだぜ ラップトップPCはスペアを入れて2台しか持ってねーよ と画面に向かって言い聞かせました。

あの店で買ったアプリは二つとも正しい説明を受けられず残念です、自分でその店を選び店員を信用したので仕方がないと思っています、他に責任転嫁はしません、その代わりあの店は信用できないので利用しません。

  日本に寒気団が居座っています。

寒いようー 美肌と形のいい唇が荒れるヨー 外の出たくないよう―。

クリスマスプレゼント

12/25の朝9時にタクシーを予約しました。
PCもバックパックに入れます。
荷物のパッキングを始めたので前倒でブログを掲載します。

  クリスマスプレゼントを私に贈ってくれる人はいません。

ダリのブックシェル型スピーカーを手術成功の祝いを兼ねて自分自身へのクリスマスプレゼントにしました。

 東を向いたベランダのガラス戸からは陽がよく差し込みます。

傷口に消毒薬をぬって陽の光にあてて日光消毒をしました、傷口が陽の光に温められていい気持ちです、しばらくうとうととうたた寝をしました。

お店から電話がかかってきて注文したスピーカーの入荷を教えてくれました。

外は冷たい々風がぴゅーぴゅー吹いていました。

お店でスピーカーをきちんと包装して紐でくるんで持ちやすいように取っ手を付けてくれました。

ちょっと重たいです、暫くは重いものを持ったりしないようにと医師に注意されたことを思い出しタクシーに乗りました。

お店から渡されたままのスピーカーの梱包では運ぶのに支障があります。

ホームセンターで梱包用のプチプチを買って梱包をやり直し手荷物に押し込みました。

寒くならないと美味しくならないもの


 みかんはおいしいですね、一袋食べちゃいました。

沖漬けを熱いご飯にのせて小茄子の漬物とレンジで作ったしじみ汁をいただきました。

そうそう これこれ この味だよ と食べながら自分で思いました。

きょうはアサリの酒蒸しレンチンを目指します、楽しみです。

 日本列島は強い寒気団に包まれているようです、ガラスごしに腿にあたる陽の光は熱いくらいですがゴミを捨てに外に出ると身を切られるような寒さでした、雪が降り出して航空便の遅延が起こらないか心配しています。

 成田空港まで電車を乗り換える時にラッゲージはとても邪魔になります。

直通バスは乗り換えもなく時間的にも電車・新幹線利用と大差なく運んでくれます。

ダメもとで成田空港直通バスに電話をしてみました、ありましたよ々丁度時間に都合のいいバスが、さっそく切符を買いに行きました。

外は冷たい氷のような風が吹いていました、耳が痛いので毛糸の帽子を買いました、温ったけえー・・・。

2022年12月22日木曜日

再診

 朝から冷たい雨が降っていました。

外科の外来は混んでいました、一時間くらい診察が遅れていると看護婦さんが教えてくれました、了解をもらってコーヒーを飲んで時間をつぶしました。

 診察をしてもらうと傷口はふさがっていました、経過は順調です シャワーを浴びても大丈夫ですよ と医師に言われました。

 外に出ると雨はあがり晴れていました。

スピーカーを注文してハードディスクとコーヒー豆を2.5kg買いました。

消毒薬と防水シールを買い手術の痕を消毒して防水シールを貼りました、シャワーを浴びて歯を磨いて寝ます。

2022年12月21日水曜日

買いました

 住まいの冷蔵庫に入ったままになっている リップクリーム をこちらで買いました。

病院の空調は加湿された温風ですが マンションは乾いた外気を加熱するだけです。

私の唇が寒気・乾気にやられてパリパリのパになったので急いで塗りました。

鏡で見ると唇がヌメッと輝いて異様です。

ラーメンを食べたら少しワセリンの味がしました。

私の加齢による脂っけのない美肌は寒さと乾燥でカサカサになりました。

傷が順調に回復すれば25日にセブ行き乗ります。


 寒さに震えあがっている自分を情けなく思いましたが歳のせいにしました。

冬が来るのを待ちかねて山に登ったりスキーに行ったりしたのは誰だったのかと自分自身に聞いています。



 ※歩行訓練のせいでしょうか傷口が3mmくらい開き少し痛みます、明日病院にいってきます。

入院と治療



  土曜日に病院から入院確認の電話連絡を受けました。
搭乗中と移動中にその連絡に気が付きませんでした、日曜日になってから病院の入院確認の問い合わせに気が付きました。
すぐに病院に電話をかけましたが担当部署は日曜で休みでした。
そんな引け目があったので入院受付の予約は月曜のa.m.10:30でしたがa.m.8:30に入院受付に行きました、再度の抗原検査で陰性となり問題なく入院させてもらえました、予約時間の都合で病室に入るのに時間をつぶさないといけないのでスタバでコーヒーを飲んで時間をつぶしました。
 手術の開始は午後五時の予定なのでベッドで横になり用意した文庫本を読み昼寝をしました。
予定通り手術は始まりました。
今回は下半身麻酔なので意識はしっかりしています。
ベッドで手術室に運ばれる時に病院の天井を見て映画やドラマで使う映像のアングルはこのアングルだなと思いました。
 手術が終わって麻酔がきれるまでの4時間に何度も血圧・酸素濃度・体温の測定がありました。
麻酔がきれて足に感覚が戻り足が動くようになると手術創の痛みが始まりました。
二度目に投与を受けた痛み止めが効いて午後11時から翌朝5時まで眠ることが出来ました。

 コロナ禍なので入院患者の面会は病院から連絡のない限り親族でも禁止となっていました。

 パジャマやタオル類・入院で使う身の回り品の有料サ-ビスがあります、これはとても便利で助かりました

2022年12月18日日曜日

綱渡り

 セブのマクタン空港は木材がふんだんに使われています。

 PRのチケットのカウンターで担当の女性が トラベルパス と私に言いました。
画像の入ったスマートフォンを渡すと画面を拡大もせず これはあんたのか と Sir もつけずに私に聞いてきました。
厄介な奴にあったな と思いながら そうだよ と言い返すと どうして解る と言われて呆れました。
 そこにパスポートナンバー・名前・性別・年齢が書いてあるでしょ。
 渡したパスポートとリタイアメントビサで確認して とマスクを下げて言いました。
下を向いて何やらブツブツ言っています。
 触らぬ神に祟りなしなので黙っていました。
ワクチンの接種証明書を見せて と言われました ワクチンの接種証明を打ち込まないとトラベルパスは発行されません そんな事を言っても通じる相手ではないと思い スマートフォンの中の12/01から無効になっているワクチンの接種証明書の画像を見せると搭乗券を発行してくれました。
なおこの担当者の打ち込んだシートナンバーは不可のようで搭乗手続きで変更となりました。
 出国の担当官はまともでトラベルパスを見てOKでした ワクチンの接種証明書は必要ありませんでした。

 朝食を摂りました ハムサンドとココアで750ペソです 決して安くは有りません。

 待合席でスマートフォンを日本用のスマートフォンに交換しました。
日本の病院から連絡が3回入っていました。
こちらから連絡すると 病院内でコロナ感染が起きているので手術を行うか延期するか と選択を迫られました。
今空港でもう直ぐ離陸です と言うと双方で笑って 判りました という話になりました。

 そんなこんなしているうちに到着遅れで出発が遅れていた便は1時間遅れで離陸しました。
私は5年前から正常に運行された旅客機・高速船に乗っていません トラブルはわが影法師になってしまいました。

 日本入国の際に事前にワクチン接種・税関申請等を記入するVisit Japan Webですが 1つは記入者が扱いに慣れていないせいと 2つ目は空港側が対応に慣れていない事もあり 大混乱でした。
 空港の検疫検査の場所で未記入者とWeb使用者に分けられます。
Web使用者は画面を提示できる人と出来ない人に分けられます 私のスマートフォンは 電波状態の良いところで再操作 のメッセージが出ました 空港職員がWi-Fiの再接続を行い別の列に並びました。
検疫で私はOKサインの出ている青いスマートフォンを見せました 接種証明書を見せて欲しとの要求があったのでこうゆう事態もある事を想定して持ってきた手書きの接種証明書を見せました 結構です と言われてもこちらは結構ではありません 笑いながら事前の記入が済んでWEBが青色になっても手書きの接種証明の提示は必要ですか と質問しました 女性の上司が来て その場合は必要ありません と言ってくれたので納得して先に進みました。
 関税の機械操作の列が何重にも並んでいます その列に並びました WEB未記入の外国人が丁度関税を出てゆきました WEBを使わなかった人がスムースに検疫と税関を通過したことになります 私が機械を操作したのは40分後でした。
着陸後2時間以上時間が経っていました。
切にWEBの改良と空港の対応の改革を御願い申し上げます。
 WEBの場面ごとのスクリーンショットをフォト等の写真収納フォルダにコピーして保管して都度空港職員に見せるほうがスムースで旅行者の利便性も高くなると思います。

  13年間使ったホテルは顔見知りの人が一人もいなくなりました そして朝食のメニューが粗末になりました そんな訳で今回は入院することもありウイークリーマンションを使う事にしました。
空港でロスした2時間を取り戻すために 成田エクスプレス 東北新幹線 タクシーを使い無事に使用するマンションのルームキーを手にすることが出来ました。
もう綱渡りは嫌だよ。

 夜風が冷たく耳がちぎれそうです 少し離れた場所にある和食屋まで行く気になれません。
近くで夕飯を食べました。
寒い 寒い こんな夜のお風呂は御馳走ですね。

 さすがにコロナ感染者増世界一の日本です。
危ぶまれた事態がやって来ました。
コロナ感染者の対応とコロナの院内感染で12/19の入院と手術が中止か延期になる可能性が出てきました。

出発

初めての抗原検査は陰性でした 病院のコロナ対策で入院時には検査が必要です 病院でもらったキットをよく読んで検査しました コロナ感染の抗体検査をしたいですね。

 パッキングは面倒くさくてつい々後回しにしてしまいました。

 高速船の待合室です 欧米人はもちろんフィリピン人もマスクをしていません 爆発的な感染がなければいいな と思っています。


 寒い々高速船に乗って酷い混雑の街を抜けて いつものホテルにチェックインしました 待っていてくれた両替商にペソを円に両替えしてもらいました ICMの両替商より率はいいですね 比較になりません。


 お隣の焼き肉屋で夕食を摂りました ここでは角の立った美味しいレバ刺しが食べられます。
ホテルのクリスマスディナーはフィリピン人向けなのでワクチンの副作用で消化器をやられている今の私には無理です。
鶏のから揚げ 豚肉のから揚げ 豚肉の脂のぎたぎた浮いた醤油煮込み ガーリックライス 等々揚げ物と獣脂たっぷりの料理ばかりが並んでいました。

墓名碑

    身体は健康です、精神も病んでいないと思います、ピンピンコロリを目標にしています。 しかし人間いつどこでどうなるか判りません。 病死の場合は日本の病院で治療を受けるので日本の墓に入る事になります。 突然死した場合を考えてこの地の自分の墓名碑にどんな文言を刻もうかと真剣に考え...